ニュースとしての価値とその取り上げ方
2006年 11月 23日
徳島のワンちゃん無事救出!
徳島市加茂名町の眉山で22日正午前、がけの高さ70メートル辺りで動けなくなっていた犬を、徳島市消防局の救急隊員が助け出した。心配そうに見守っていた住民ら約200人はほっとした様子だった....
(NikkanSports 2006.11.22)
こんな1匹の野良犬のことで全国ネットのニュースでまで映像が流されるとは、なんと平和な国である。
助かった野良犬に対しては全国から引き取り手の希望が殺到しているとか。
その人たちの多くは、せっかく助かった命だからと善意の気持ちで手を差し伸べているのだろうが、もし本当に”あの有名になった犬だから飼いたい”という理由でないのなら、その人達には全国の動物管理センターで殺処分にされるのを待っている犬達を1匹でも引き取ってもらえばいいし、そうしてもらうべきである。
街中で野良犬発見、住民が行政に連絡、捕獲 → 保健所で殺処分
崖上で野良犬発見、住民が行政に連絡、捕獲 → 里親希望者殺到
この違いはいったい何なんだろうか。
メディアが、ある一面のみ取り上げて表面的な報道しかしないから"可哀想"という域だけで終ってしまい、その背景にある問題や本質の議論には至らない。
一連のいじめ自殺の報道もまったく同じである。
ニッポンでは、人間の弱者にもないセーフティネットが野良犬には用意されている(笑)
by karl.helmut
| 2006-11-23 23:17
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