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(懐かしの)天才MF礒貝洋光
沢登氏が惜別の決勝点/引退試合

元日本代表MF沢登正朗(37)が、豪華メンバーに囲まれてラストマッチに臨んだ。前半は清水の長谷川健太監督、早大の大榎克己監督、解説者の堀池巧氏らとエスパルスでプレー。後半は東京Vのラモス監督に背番号10を譲られて、東海大時代のチームメートで現在プロゴルファーの礒貝らとプレーした.... (NikkanSports.com 2007.1.21

沢登選手の引退試合があったことは知っていたが、昨日の夜、スーパーサッカー(TBS)での映像で、昔、大ファンだった"天才MF"礒貝洋光がその試合に出場していた姿を久々に見た。
とは言いながら、懐かしさを感じる前に、最初は一瞬、何故プロレスラーの佐々木健介が出ているのかと思ったくらい(笑)、変わってしまった風貌、体型に少々驚いたのも事実である。
これまで、プロゴルファーになって以降の動向はあまり知ることもなかったため、昔の精悍な顔つきでカッコ良かった"あの礒貝"を知る人間としては、あまりのイメージの変化に改めて時間の経過を感じずにはいられなかった。

b0024824_2215265.jpg【礒貝洋光(いそがい ひろみつ)】
  1969年4月19日 熊本県生まれ
  帝京高校→東海大学(中退)
  92年ガンバ大阪入団
  97年浦和レッドダイヤモンズ移籍
  98年プロゴルファーに転向
  ※日本代表試合数:2、Goal数:0

    → 礒貝洋光公式HP

Jリーグの創生期、ラモスの次代の代表10番は礒貝しかいないと思っていた。
しかし、礒貝が代表で呼ばれたのは、ファルカンが解任された直後の加茂監督の95年インターコンチネンタル杯(現在のコンフェデ杯)でのアルゼンチン戦(1-5)、ナイジェリア戦(0-3)の2試合のみ。

彼は、天才的と言われた中盤でのテクニックと攻撃力を垣間見せる反面、『ボールのない所での緩慢プレー』の指摘を払拭することもなく、その後世界の場で輝く機会を与えられることはなかった。

あのスポーツジャーナリスト金子達仁氏も、エッセイの中で礒貝のことを
「生まれて来るのが5年早かった」
と書いていたのが実に印象に残っている。

いつの時代であっても、"天才"が必ずしもその才能を100%開花、発揮できるとは限らないところが人生のアヤというものである。
今となっては、礒貝選手には、プロゴルフの世界でのツアー初勝利を一日も早く達成してもらいたいと願っている。
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by karl.helmut | 2007-01-28 23:22 | Sports | Comments(0)